市街地から東へ6キロ離れた産河の東側にある。1953年に発見された、新石器時代の仰韶文化の村落遺跡をドームで覆ってそのまま博物館にしたもので、黄河流域においける比較的整った形で保存されている典型的な母系制社会の村落遺跡である。すでに六千年ぐらいの歴史を持っている。遺跡の敷地面積は5万平方メートルあり、居住区と墓葬区に分かれている。博物館は1958年に開館した。遺跡自体は全国重点文物保護単位に指定されている。
西安半坡遺跡博物館内にある半坡遺跡ドームが三年間に渡って修復工事が行い、今年4月1日に試開放、5月1日に再開館する予定です。
修復された新館面積は旧館より1200平方メートル拡大し、総面積4800平方メートルに達しています。旧館にあった文物を展示すると同時に、始めて発掘された6000年前の祭祀遺跡や家屋遺跡や墓葬などの重要発見もオープンする予定です。
半坡は、今から6000年以上前の遺跡で、黄河流域の典型的な母系氏族社会の集落だった。遺跡の現存面積は約5万平方メートルで、居住区、製陶区、墳墓区に分かれている。1953年春に発見されて以来、5回の発掘調査が行われ、豊富な科学的資料や貴重な文物が発見されている。発掘面積は、すでに約1万平方メートルに達した。
半坡遺跡は紀元前5000~4500年の住居址で,堀を巡らしたいわゆる環濠集落でした。最も栄えていたときには約200軒の住居があり,2~3人の家族構成であったとすれば,人口は500~ 600人ほどの集落ではなかったかと考えられます。
集落復元図 住居は円形と方形の二種類ありますが,一般的には円形の方が古いものとされています。住居の直径は4~6mほどで,周壁があって,杭列が内部と外部につくられていました。屋根はとっくに崩れ落ちていましたが,幸いにもそれが床に積み重なる状態で発見されたので復元が可能でした。
彩陶(中国の先史時代に使われた彩色の文様のある土器)芸術は、非の打ちどころのない境地に達した。「人面魚紋彩陶盆」は、その代表作である。古代の半坡人は、多くの彩陶盆に魚と漁網の文様を描いている。これは、当時のトーテム崇拝と経済生活に関連しているに違いない。半坡人は、渓谷の小高くなった場所に居住し、農業生産を中心とした定住生活を送っていたが、同時に採集や狩猟、漁労も行っていたため、このような魚の文様は、生活の描写と言える。 人の頭の上の特殊な形は、ある種の宗教活動のいでたちだと思われ、少し歪み絵の技法を使ったように見える魚の文様は、人格化した独立の神――「魚神」を代表すると考えられる。これこそが、人々が魚をトーテムとして崇拝していたことを表している。 この他にも、春秋戦国時代の『詩経』『周易』に、魚には隠喩として、「男女の交わり」の意味があると書かれている。ここから推測すると、「人面魚紋」は、子孫繁栄を望む意味があると考えられる。
所在地 : 西安市半引路1号
開館時間 : 7:00~18:30
休館日 : なし
電話 : 029-351-2373
交通 : バス45路「半坡博物館」、11、42、307路「半坡」、105路「半坡紡績商城」下車
半坡博物館案内図
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住所: 中国広西桂林七星区七星路創意産業園6棟4階