重慶雲陽張飛廟
以前の張飛廟
張飛は殺害されたのち頭部は川へ捨てられ、その頭部を拾った一人の漁師によって飛鳳山の麓に埋葬されたといわれています。人々は張飛の「義と勇」を称えるために張飛廟を建てました。そのため「張飛の頭は雲陽にあり、体は閬中にある」という言い伝えがあります。毎年旧暦の八月八日になると、飛鳳山では張飛を祀るイベントが行われ多くの観光客が訪れます。
張飛廟は蜀漢の末期に創建され、数度の改修を経て1700年あまりの長い歴史を持っています。張飛廟は飛鳳山の麓に位置しており、中には多くの貴重な史料と石碑が保存されています。世にも珍しい宝物は200点を超え、「巴蜀聖景、文藻聖地」ともいわれています。廟の前には川に向かって石造りの壁があり、そこには「江上風清」の四文字が書かれ、その筆さばきは雄健で美しいです。廟の中には張飛の像があるほか、漢と唐の時代以後の詩文、書画の彫刻や他の文物など数百点が収蔵されています。しかし残念なことにここは三峡ダムの建設により水没してしまいました。
移転後の張飛廟
三峡ダムの建設のため、張飛廟は唯一の移築建物として、2002年10月8月に閉館となり、川を30キロ遡った場所、元の雲陽県の飛鳳山から盤石鎮の龍安村に移転しました。2003年7月19日に元の張飛廟を再現し建てられた新張飛廟は正式に開館しました。張飛廟を移転する際の費用は計り知れないほどの額だったそうです。
移転された張飛廟は雲陽県の新しい町と川を中心に反対側にあり、互いに引き立て合っていて趣があります。廟内は本堂、仏堂、結義楼、助風楼、杜鵑亭などからなっており、立派で、独特な建築群を構成しています。廟の周りには「張」という字が書かれた旗がたくさんはためいています。廟内に入るとまず多くの書道家や画家の彫刻があります。張飛廟は建築スタイルが独特であるだけではなく保存されている書画や彫刻も珍しく、「文絶世、書法絶世,彫刻絶世」といわれています。
四川閬(ロウ)中張飛廟
漢桓侯祠は張飛廟とも呼ばれており、四川省閬中市古城区西街59号にあります。この地の人々は殺害された張飛の忠誠且つ勇敢な生涯をたたえるために、この祠を築きました。現在までに1700年あまりの歴史があります。唐の時代には「張侯祠」、明の時代には「雄威廟」と呼ばれ、清の時代に入ってからは「桓侯祠」と呼ばれるようになりました。「桓侯」は張飛の諡号です。
現存の桓侯祠は明と清の時代に再建されたもので、敷地面積は5000平方メートルを超えます。山門、敵万楼、納屋、大殿、後殿、墓亭、墓地などからなっており、建築面積だけでも2200平方メールにも達し、立派で美しく三国文化を代表する一大聖地になっています。