ロウ中市は四川省の北東部に位置し、嘉陵江の中流地域にあり、四川省南充市に属しています。2300年以上の歴史を誇るロウ中古城はロウ中市の南部にあり、四川省では、完璧な形で保存された唯一の古城であり、歴代を通じて、古代巴国・蜀国の軍事的要衝でした。ロウ中は張飛の町、彼が部下に殺された地です。ここにも張飛廟があります。手前が廟で、奥が墓地、廟内にある張飛の像は何か苦悶な表情をうかべています。
ロウ中の三国文化
ロウ中は三国文化観光ラインを構成する重要な場所です。三国時代には、蜀漢の将軍であった張飛は、巴西太守として、ロウ中に7年間(西暦214—221)駐在していました。ここで、張将軍が選りすぐった兵士万人を率いて、三万人を率いた曹操の上将張郃を打ち負かしました。その後、張飛が呉国を討伐する前、部下の范強、張達に殺され、ロウ中に葬られました。
後世の人が張飛を記念するため、「桓侯祠」を建てました。張飛のほか、三国時代、蜀漢の名士であった周群、譙周、程畿、鎮北将軍黄権、鎮南大将軍馬忠など、皆ロウ中ゆかりの人です。
ロウ中の三国遺跡
ロウ中には、三国時代や張飛ゆかりの遺跡がたくさん残されています。例えば、剣閣まで通じる皇柏大道には、千年以上の歴史がある柏が植えてありますが、それは、当時張飛が植えた木だと言い伝えられています。そして、張飛の体(頭とは別の場所に)が葬られた漢恒侯祠(張飛廟)もロウ中にあります。ロウ中市文城鎮の双山垭には、張飛が張郃と戦った当時の古戦場であった瓦口隘が残されています。また、ロウ中市龍泉鎮に位置する厳顔寺は、三国時代の名将厳顔を記念するために建てられたものです。更に、插旗山は当時張飛が旗を掲げた場所であり、諸葛山は諸葛亮軍が駐在した場所です。
ロウ中人の張飛への思い
文化名城であるロウ中に生まれた人にとって、張飛はこの町の偶像でも神様でもあります。この地では彼は賢い人であったといわれており今でも尊敬されています。民間では、肉屋は張飛を始祖と見なしています。また張飛は「張三爺様」とも呼ばれています。なぜなら、張飛はロウ中では、「虎臣良牧」(虎のように勇ましい将軍でも優れた官吏でもある)と賞賛され、軍事にかけては、勇ましい将軍で、役人としては優秀な官吏でした。特に、養蚕業を発展させ、水利施設を建設し、また、社会の安定を確保するためにも多数の業績を成し遂げていました。なお、ロウ中には国内外に名が響いた張飛廟だけではなく、張飛牛肉、張飛牛肉面、張飛真綿、張飛酢、張飛酒、翼徳豆瓣などもあります。
張飛は向こう見ずな猪武者ではなく、書道に長けており詩句や文章がよくできる文人なのです。1980年代には、嘉陵江に「漢将軍飛率精卒万人大破賊首張郃于八蒙、立馬勒銘」(漢の将軍張飛が万人を引率して八蒙で張郃軍を打ち負かし、勝利を記念するため、これにて石碑に刻んだ)という文字が彫刻された石碑が見つかったもので、それが張飛の真跡だと言われています。