荊州は遥か昔、楚という国の首都で江漢高原に位置し、湖北省の五大都市の一つです。国務院が初めて制定した24ある歴史文化で有名な都市の一つで、長江経済ベルト地帯にもなっています。
荊州は悠久な歴史と豊かな文化を持っています。2600年の歴史があり、楚文化の発祥地としてまた三国文化の中心にもなっています。紀元前689年、楚の文王は荊州に首都を置き、20代にわたり歴代の楚王が都として411年統治しました。その間に古代のギリシア文化と相当していた楚文化が生まれました。三国時代に荊州は「兵家必争の地」となり、市内にはたくさんの三国文化の遺跡が分布しています。また城壁がほぼ完全な形で残っており、中国の7大城壁のうちでも2番目に良い状態なので「中国南方のすばらしい状態の城壁」と称され、国務院による全国重点保護文物に指定されました。
ここ数年、荊州の街は建設ラッシュで大きく様変わりしています。荊州市を中心とし、さらに6つの中規模の市と84の町とで構成された新しい都市になっています。市から街へと徐々に発展し、交通、情報、資源などが次第に強化されています。荊州市を中心とし湖北省を起点にした、隣接する湖南省に向けた水運、道路、鉄道、航空などの交通網はすでに出来上がっています。
一部分の重大なインフラはもう完成し、荊州は長江の上流の重要な港としての役割を果たしています。中心の地区は長年の建設計画により武徳、玉橋、古城など6つの部分に分けられています。汚染のひどい企業は相次いでもともとあった所を引き払い、新規の工業エリアに集められ、工業区間を商業空間へと変換する戦略には効果が見られています。多くの新規の工業と商業プロジェクトが建設され、都市の経済発展に新しい活力を与えています。荊州は「中国の優秀な観光都市」、「国家庭園都市」などとも言われ、3~5年間かけ荊州を美しい景観の環境のいい都市になるように努めています。