木府は世界文化遺産、中国歴史文化名城である麗江古城の文化を代表する博物館と言われています。ナシ族の首領であった木氏は元の時代1253年より麗江の府知事に任命されて以来、世襲で元、明、清の三つの時代を22世代470年にわたって支配してきました。木府は麗江の政治、経済、文化の中心でした。俗に5~600年前の木府は麗江古城の「紫禁城」ともいえます。
木氏土司の屋敷であるとはいえ、その豪華さは王侯貴族の宮殿に負けていません。木氏は自身の宮殿式の屋敷を建てる際、中原地域で一般的な「座北面南」の風水理論に従わずに東向きにしました。東は五行の木に属する方角とされ、その太陽と木はナシ族トンバ教のシンボルでした。またさらには「木」とは皇帝に授けられた姓でした。そのため木氏は「木」の気を取って栄えるという理論から、住宅を建てるのに「座西面東」の形を取ったとされます。
麗江古城には城壁がありません。これは地方官としての土司である木氏は姓の「木」が城壁に囲まれると「困」という字になることを忌み嫌い、あえて城壁を作らなかったとされていますが定かではありません。
現在の木府は観光地として多くの観光客の目を引き付け、ナシ族の祖先の誇りのシンボルになっています。私たちは古都の風貌を楽しみながら、ナシ民族の輝かしい歴史に足を踏み込むことができます。木府の建築芸術は明の時代の素朴で無骨な風格を十分に反映しています。明の時代の中原地域に伝わる建築方式だけではなく、ナシ族や白族などの民族特有の技術をも融合されています。またここにはナシ古王国の有名な草花と珍しい樹木がすべて集まっています。そして王室庭園と蘇州庭園の風格の両方を兼ね備えています。天、地、山、川の清雅さと王宮の優雅で豪華な部分と相まって、木府には多様な文化とナシ族の開放的な精神が窺えると言えるでしょ。
木氏の屋敷は獅子山を背景に建てられています。山には柏の木が茂っており、現在獅子山に残っている古い柏林(黄山古柏)は「麗江十二景」の一つになっています。20世紀の1950~60年頃にかけて地元の住民によって植えられた柏の木も現在では青々と茂る林に成長しています。獅子山から景色を望めば、見渡す限りに連なる瓦屋根が青々とした大空と大地と溶けあっており、その全貌は巨大な水墨画のようです。
木府には、世界でも有名な麗江古城の千年におよぶ文化とそこの住む民族の豊富な知恵が注ぎ込まれています。東向きの誂えや、縦横に流れ、人々の家々に渡る水路など、ナシ族の伝統文化が後世に残っており、これらは特に観光価値に富んでいます。