アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。
アモイ島が歴史に初めて登場するのは、唐代の事です。西暦711年前後に編纂された書物では、福建省泉州の清源郡南安県に属していると書かれています。当時アモイは“アモイ”ではなく、新しい街という意味の“新城”と呼ばれていたようです。
その後、漁民だけでなく次第に農民も島に移り住むようになり、島の西部中央にある沼地を利用して細々と稲の栽培を始めたようです。これは相当にうまく行ったらしく、時代が下がって宋代太平天国の乱の頃には、稲が実る小島という意味の“嘉穂嶼”と呼ばれるほどになります。明代の西暦1394年には倭寇や海賊の侵攻を防ぐために城が築かれ、このころからすでに「アモイ」(現地語ではアモン)という発音で呼ばれていたと記録にあります。
宋代に海のシルクロードの起点として栄えた泉州府に属する同安県が置かれたのがその始まりです。明時代の初め頃、朱元璋によってアモイ城が創設され、以降アモイ(アモイ)という名称になりました。お茶のルーツは中国にあり、明正徳年間にはポルトガル、スペイン、オランダなどからやってきた人々がアモイで茶葉を購入し、本国へ持ち帰り、その後世界的に広まっていきました。
また、明治以降、対外貿易港として栄えた。海外への移住者の出入口としても有名で、帰国した華僑や、海外からの送金によって経済が発達し、1979年には経済特区に指定された。 南京条約で租界になった歴史を持つためか、町には洋館が多く、全体地にあか抜けている。通りを行き交う人々のファッションもカラフルで、南国特有の華やかなムードが漂っている。
アモイは天然の良港を備えた現代中国経済の牽引車ともいわれる経済特区の一つにしてビーチリゾートで知られる景勝地です。海岸近くには別荘のような建物も数多くみられます。
アモイが多くの華人が世界中へと飛び立った「華僑のふるさと」としても有名。1980年には、中国の改革開放政策の一貫である経済特区に指定され、外資系企業の誘致がはじまった。
中国ではここ数年、海洋観光に力を入れているそうで、アモイをはじめとする海浜都市には、さまざまなマリンレジャー施設などの観光スポットの開発が進んでいるとのことです。