寒山寺
寒山寺は、南朝の天監年間502年に創建されました。二百年後の唐代に、寒山という僧侶がこの寺に住んでいたことにちなんで、「寒山寺」と改名されました。この寺はたびたび、火災よる消失と再建を繰り返しました。現在の寺は清朝末の再建されたものです。唐代の詩人張継が有名な「楓橋夜泊」を詠んで以来、この寺は有名になりました。寒山寺の建物は、ほとんどが清代に建てられたもので、主要な観光スポッは大雄宝殿、蔵経楼、鐘楼、碑文「楓橋夜泊」、楓江第一楼です。仏像彫塑には独特の風格があり、石碑に彫られた文字や図画は世界的にも有名であり、碑廊の中には、歴代の名人岳飛、唐伯虎、董其昌、康有为等の詩碑が陳列されており、なかでも広く知られた張継の七言絶句「楓橋夜泊」の詩碑があります。
寒山寺の「天下第一鐘」は、唐代の風格を模した古銅鐘であり、総重量108トン、高さ8.588メートル、最大径5.188メートルであり、69800文字の「法華経」が鋳されており、鐘の表面には70094文字が書かれています。鐘と同時に作られた石碑は、「中華第一詩碑」と呼ばれ、高さ15.9メートル、総重量388.188トンです。
大相国寺
大相国寺は河南省開封市自由路西側にあります。開封は昔から「富麗甲天下」、「自古帝王都」と評されている歴史文化のある町です。
昔から人々の間では「一蘇二杭三汴州」と言われ、「(大相国寺は天下一、空まで届く梯子の如く縹渺で果てしない」とも言い伝えられている大相国寺は中国仏教歴史上でも有名な寺院でその影響は絶大です。
昔から大相国寺は多くの名僧を輩出し、名士が集い、仏教活動も盛んに行われ、たくさんの所蔵品があります。最盛期には64の建造物があり、敷地面積は540ムー、1000人以上の僧侶が行を積んでいました。巡行や娯楽、参拝、商業、貿易などが行われ中国内外の仏教、文化の交流の場になり、海外へ広く仏教を広めてゆきました。
大相国寺は有名な皇家寺院で、中国十大歴史寺院一つになっています。北斎天保6年(555年)に建立され1400年以上の歴史があり、当初は建国寺と呼ばれていました。戦国四公子の信綾君の旧居だったとも言われています。712年、唐睿宗が相王から皇位が上がったことを記念して大相国寺と名づけられました。
現在、山門、天王殿、大雄宝殿、八角瑠璃殿、蔵経楼、千手千眼仏等が残されており、寺院の中は整然としています。
隆興寺
隆興寺は総面積が85200平方メートルで、石家庄市の北側に位置しています。建国後、政府の支持で何度も改修され、正門(南門)の外は巨大な琉璃を嵌めた壁で、内の建物は主に天王殿、天覚六師殿(遺跡)、摩尼殿とか、牌楼門戒坛、慈氏阁、転輪藏阁、康熙乾隆二御碑亭、大悲阁、御書楼、集慶阁、弥陀殿、竜泵牛亭、毗卢殿などです。その中で、天王殿、摩尼殿、慈氏阁、転輪藏阁が最も無傷で保存されてきた宋代の構造をもつ建物です。摩尼殿の価値が一番高く、1.2メートルの台座の上に建てられ、「重檐歇山式」で、幅と奥行きが七間で、平面の構造が「十」という字形で、外から見ると幾重にも重なるように雄壮で古くて勢いがあります。
創建時から清朝晩期まで、隆興寺の改修、拡張工事はいつも皇帝と深い関係があります。本寺は586年に建てられ、歴代の皇帝は何度もここに視察し、線香を立てて祈り、詩を作り、扁額を書き、碑を立てました。隆興寺には唐、宋、元、明、清歴代の様式をもつ建築があるだけでなく、隋唐以来の壁画、彫刻作品、碑などがたくさん保存され、中国の「古代建築の博物館」と呼ばれ、歴史、科学、芸術では高い価値を持っています。
登封少林寺
少林寺は、中国河南省鄭州市の登封嵩山にある、少林武術の発祥地です。嵩山の中の少室山のうっそうとしたジャングルにあるので、少林寺という名前が付けられました。
北魏正始五年(紀元508年)、高僧勒拿摩提と菩提流支は前後して少林寺へ来て、翻訳所を作り、インドの「十地経論」を翻訳しました。三年後には行世を完成し、北方禅学の発展を強く推進しました。少林寺も当時仏学の要地となりました。その間、南インドの高僧菩提達摩は海路で中国の南に到着し、そこから揚子江を渡って中原に入り、少林寺の裏手にある山の辺りで座禅を組み、法事を伝授し、「以心印心」を提唱しました。禅宗は仏教が中国で広まる過程で生まれた中国式の仏教宗派で、中外文化交流の中で一番重要な精神的産物の一つです。禅宗は中国の思想を極めて豊かにして、中国文化に深遠な影響を与えました。
少林寺は、唐代からの石碑を三百ほどを保存しており、その中の一つ「太宗文皇帝御書碑」は少林寺十三の僧侶が唐王李世民を救った史跡を記載しています。碑文は唐太宗自身によって書かれました。少林僧侶達は武術を練り、拳術をやるさまは、寺内白衣殿の壁画の中に全部描写、記載されています。
杭州霊隐寺
杭州霊隐寺は、中国の有名な仏教寺院で、別名を曇林寺といい、浙江省杭州市の西湖の西北部にあります。東晋の咸和元年(紀元326年)に創建され、現在まで1600年以上の歴史があり、杭州で一番古い名刹です。伝えられるところによれば、1600年前、慧理というインド僧人が杭州に来た時、ここの山の峰が奇抜で美しいのを見て、仙人がここに隠れていると思ってから、ここに寺を建て、霊隠と名を付けたとのことです。清代に康煕は「曇林禅寺」と名前を命名しました。最盛期には、九楼、十八閣、七十二殿堂があり、僧侶3000人以上がいたとのことです。
霊隐寺の主な建物は、天王殿、大雄宝殿、薬師殿です。天王殿の入口の弥勒仏の坐像は200年の歴史があります。弥勒仏の坐像の後にある、護法前善神韦駄像は、南宋時代の作品です。大雄宝殿は高さが33.6mで、中国で第一番良く保存できた単層重檐の寺院です。神殿の真中に金貼りの釈迦牟尼の像があり、24本樟で作られ、正味の高さ9.1m、蓮花台座と仏光頂盤を加えると、19.69の高さになり、緻密で荘厳です。神殿の後側に群像のレリーフが1500以上あります。大雄宝殿、天王殿の両側に中国五代の時代に建てた石塔と北宋開宝二年(969年)に建てた建物があり、これらはともに1000年以上の歴史があります。
洛陽白馬寺
白馬寺は、東漢永平11年(68年)に中国河南省の洛陽市の郊外12キロの所に、中国で最初に建てられたお寺で、中国仏教の「祖庭」と「釈源」と呼ばれています。中国で第一級の古刹です。主な建物は:天王殿、大仏殿、大雄殿、接引殿、毗卢閣、斎曇塔等です。
史実によれば、東漢永平7年に漢明帝劉庄は金色に光る人の夢を見た為、使者を派遣して、西域へ仏道を求めに行かせました。その後、紀元67年に漢の使者は、インド僧侶摄摩腾、竺法蘭二人の高僧と一緒に洛陽に白馬で仏典を運んで来ました。漢明帝は自ら彼らを迎えました。紀元68年に漢明帝は、洛陽の雍門の外に僧院を建てさせ、白馬が仏典を乗せて来たので、「白馬寺」と名前を付けました。
白馬寺の創建は、中国仏教史にある有名な″永平求法″と密接に繋がっています。白馬寺の建物は雄大で、現在の構成は明の時代の嘉靖の時に修復されたもので、天王殿、大仏殿、大雄殿、接引殿の4つが残されています。山門の両側には迦叶摩腾と竺法蘭2人の高僧の墓があります。後方にある庭には、白馬寺の歴史を刻んだ石碑があり、これも歴史を知る上での重要な古跡です。寺内にある仏像は、ほとんど元代に作成されたものです。とくに大雄宝殿の仏像、洛陽の中で一番保存状態の良い仏像です。
北京臥佛寺
北京臥佛寺は「十方普覚寺」とも呼ばれています。西山北の寿牛山南麓、香山の東側に位置し、市街地から30キロ離れたところにあります。臥佛寺は唐の貞観年間(627-649)に建立されました。もともとの名を「兜率寺」、またの名を「寿安寺」といいましたが時代ともに再建が繰り返されそれに伴い名称も変わっていきました。唐の時代からある紫檀で彫られた涅槃仏や元朝時代に造られた涅槃の釈迦仏像が有名で一般には臥仏寺と呼ばれています。寺院全体が山を背にして建っています。その中で主要な建物は天王殿、三世佛殿と臥佛殿です。
臥佛殿が臥佛寺で一番の見所と言われています。殿内には巨大な銅製涅槃仏が安置されています。全長は1.6丈、重さは54トンあります。寝台に右側を下にして横たわっているその涅槃仏は、両足を真っすぐ伸ばし、左手は足に、右手では頬杖をついています。ごく自然なこの姿は、釈迦牟尼仏がインドで涅槃した時の姿と全く同じだと言われています。さらにその横には十二体の泥製小僧仏像が立っており、まるで釈迦牟尼がその弟子たちに遺言を云いつけているようにも見えます。その銅像は元の時代(14世紀)に作られてもので中国古代宗教の貴重な芸術品でもあります。三世仏殿の前には古い沙羅双樹があります。これはインドから移植されてきたものだと言われており仏教の国の三宝樹の一つになっています。釈迦牟尼様が沙羅双樹の下で涅槃したという証でしょう。
塔爾(タール)寺
塔爾(タール)寺とは、青海省西寧市の郊外の湟中県に位置するチベット仏教の寺院です。チベット仏教ゲルク派(黄帽派)の寺院で、ゲルク派の開祖ツォンカパの生誕地としても知られています。チベット地方6大寺院の一つで、国家重要文化財です。タール寺は、アムド地方における主要拠点のひとつであり、元の名は「塔児寺」、ツォンカパを記念して立てた銀塔に由来します。チベット語ではクンブムチャムパーリンと呼ばれ、十万の仏像の彌楽州寺という意味です。当寺は独自の宗教、政治、経済、文化活動に関する制度、システムを持っています。管理システムの「完璧」と「充実」を反映するのは、当寺のお祭りです。祭りは僧侶たちにとり娯楽の時間だけではなく、経典を勉強する良いチャンスでもあります。
塔爾寺は1379年に建立され、600年余りの歴史があります。「蓮花山」の地形に合わせて建てられ、主体建築の大金瓦殿及び小金瓦殿(護法神殿)、大経堂、彌楽殿、釈迦殿、大拉譲宮(吉祥宮)、如来八塔、菩提塔、過門塔、四大経院などの拝殿、経堂、仏塔の配置が緻密で整然としており、建物全体は主と従がはっきりしています。建築技術は精緻で雄大、かつ壮観で、チベット建築と中国の伝統建築様式が融合した特徴に富み、ユニークで、厳然さに満ちた感じを与えています。大殿内の仏像も全て精妙を極めた造りで、まさに傑作です。更に、当寺は仏教経典及び歴史、文学、哲学、医学、法律などに関する著作を数多く所蔵し、また、年に四度にわたり寺の一大法事が行われ、これを「四大観経」と呼び、期間中は連日多くの観光客で賑わい大盛況となります。
タシルンポ寺
タシルンポ寺は、チベットシガツェ地区最大にしてゲルク派最大の寺院です。シガツェ市街の西にある尼色日山の麓に位置し、明正統12年(1447年)にツォンカパの弟子であるゲンドゥンドゥプが建立し、1600年に第四世パンチェンラマロツァン・チューキ・ギャンツェン住職により大規模な拡張工事が行なわれました。タシルンポ寺はチベット語で「吉祥の須弥寺」という意味で、4世以降歴代のパンチェン・ラマはここを拠点に宗教、政治活動を行っています。当寺はラサの3大寺院であるガンデン寺、セラ寺、デプン寺と合わせてゲルク派四大寺院、それに青海省のタール寺と甘粛省のラプラン寺と合わせてゲルク派六大寺院と呼ばれています。
境内で最も古い建築物は錯欽大殿です。大殿内は2000人を同時収容でき、釈迦とその弟子、創建者ゲンドゥンドゥプ、第四世パンチェン・ラマ、開祖ツォンカパなどの塑像が祀られています。最も雄大で壮観な建築は、大弥勒殿と歴代パンチェン霊塔殿です。大弥勒殿は寺の西側にあり、第9世パンチェンラマチューキ・ニマによって1914年に鋳造された高さ26.2mの銅製弥勒菩薩坐像が祀られ、世界最大の銅製坐仏像と言われています。歴代パンチェン霊塔は大きさに違いがあり、塔身に玉片、真珠、琥珀その他の宝石が散りばめられ、中に歴代パンチェン・ラマの舎利肉身が納められています。また、寺は脱桑林、夏孜、吉康、阿巴四つの札倉(経学院)を設け、厳格かつ柔軟な教育を実施しています。寺にはまた古代経典、伝記、仏像、金銀器、陶磁器、織物などの貴重な文化財が多数収蔵され、1961年に、当寺は国家重要文化財に指定されました。
毎年チベット暦5月15日前後、寺の一大法事-展仏祭が行われます。高さ32mでそびえ立つタンカ(チベット仏画)の壁に、無量光仏、釈迦牟尼仏、強巴仏(過去、現在、未来を表す)3枚の巨大タンカが掲げられ、僧侶、信者、観光客たちが競ってそれに祈りを捧げます。
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