煬帝楊広は隋の時代のたった二人の皇帝の一人でした。彼の墓は以前、江蘇省揚州市邗江区槐泗鎮槐二村で発見されました。しかし先日、江蘇省揚州市邗江区西湖鎮の不動産開発工事現場で考古研究者によって偶然、隋煬帝陵墓と見られる墓が見つかりました。
「隋煬帝陵」の場所
「隋煬帝陵」は江蘇省揚州市邗江区西湖鎮の「中星海上紫郡」と名付けられた不動産工事現場の中心にありました。考古学の研究者チームはここから隋の末期~唐の初期のレンガで作られた墓2つが見つかり、そのうち西側の墓から「隋古煬帝墓誌」と書いてある墓誌が発掘されたことから、この墓は隋煬帝楊広のものかもしれないと推測しています。
「隋煬帝陵」の出土品
またそこからは鎏金銅鋪首、玉がちりばめられた金のベルトなどの高貴な副葬品4つが出土し、中でも鎏金銅鋪首は大きなもので、玉がちりばめられた金のベルト同様に皇族に伝わるものでした。これらの発見からもこの墓が隋煬帝の墓であると確認できました。しかし残念ながら棺や人骨などが見つかっていないので墓の主が誰であったか科学的に解明するにはいたっていません。
「隋煬帝陵」の規模
資料によれば発掘された西側の墓は南北4.98m、東西5.88m、面積は僅か20㎡ほどです。墓の構造はとても簡素で、墓室、耳室、通路からなり、すでに多くの部分が壊れてしまっています。一般的な古代の金持の墓よりも規模の小さいものといえるでしょう。
二つの「隋煬帝陵」
ここが発見される前から江蘇省揚州市にはすでに「隋煬帝陵」という陵墓がありました。その陵は邗江区槐泗鎮槐二村にあり、清の時代の大学士である阮元が発見し、修繕が行われました。墓地には阮元が修繕した時に建てた石碑があり、そこには「隋煬帝陵」と書かれています。その字は当時の書道家、揚州知府伊秉綬が書いたといわれています。
今回発見された隋煬帝陵は揚州市西部にあり、以前に発見された北部槐二村の「隋煬帝陵」から6.5㎞離れています。江蘇省揚州市文物考古研究所は記者会見で「今回発見された墓は前の隋煬帝陵墓とどのような関係にあるのか今はまだ謎に包まれています」と発表しています。
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