南京の中華門は我が国で、現存する最大で古い城門です。明朝初期は正南門で、後に聚宝門と呼ばれ、1931年に中華門と名付けられました。中華門は明洪武2年から8年まで(1369年~1357年)南京の建康府城の南門を修復し、拡張されました。中華門は東西118.5メートル、南北128メートル、総面積は15168平方メートルです。高さは20.45メートルです。中華門は城門ですが、3000人の兵士を配置でき、大規模なので砦に近いものです。城門の外を取り囲んでいる三つの小城郭は四つのアーチ型の門によって貫かれています。
三つの小城郭内には兵士を隠す穴が27あり、3000人余りがその中に隠れられます。小城郭の両側にある坂から、馬に乗り城門に登れます。そんな兵士を隠す建築は古代の戦争で重要な役割を果たしています。敵が攻撃に来たときは、三つの小城郭を利用して、敵を三つに分散し殲滅できます。
明時代に、明太祖朱元璋は朱昇の「城壁を高く建つ」と言う助言を用いて、1366年から1386年にかけて南京の城壁を建築しました。当時の南側と西側の城壁は使い続け、東側と北側の面積を広げました。周囲の長さは33.676キロで、高さ14~21メートルです。壮大な城壁は中国古代で一番広い城郭です。
中華門は南京城壁13の城門の中で、一番広く壮大です。中華門の南側には秦淮川が東西に流れ、自然の防壁となっています。城門の前方の秦淮川には長千橋が掛かり、後ろ側には鎮淮橋も掛かり、地勢が険しいですが、南京城南の中で交通が一番便利で、重要な所です。
八十年代以前、中華門は長年にわたって破棄されてきました。1980年から正式に開放して、国家旅行局、南京市文物管理委員会などの団体が計画を立て、市民に開放しながら、保全修理を行い、内部の施設を整える方法を取りました。中華門史料陳列室、盆景園などを設けました。城門周辺の住民と商店は全部移転させ、北向きの壁を保全修理しました。辺りの環境は緑に恵まれ、綺麗です。今では、敵楼、絞関亭以外、大体元の姿に戻りました。