官渡古鎮は昆明市東南部の郊外から8キロの所に位置します。歴史上の官渡鎮は、滇池内の船舶が往来の重要な埠頭で、雲南に向う要路中に政治、経済、文化が繁栄した鎮です。明清時代から「小雲南」と称されています。
官渡古鎮の悠久なる歴史
官渡古鎮は南詔大理国の時からもはや滇池の東北岸上の一大きな町であり交通要地でした。宋の時、ここに埠頭を開設されました。漁船及び役人用の船はすべてここで止まって、また駕籠か馬に乗り換えて、状元楼を通って昆明城に入りました。そのため、「官渡」と呼ばれていました。一つ歴史が悠久の古町として、官渡鎮はかつて雲南に名を知られた埠頭で、昆明の歴史文化名城の古町の1つでした。唐宋の時、すでに滇池の東の岸の一大町になりました。元代の時に昆明と同時に県を設けられ、明清の時に商業、手工業がとても繁栄した町になりました。
見所
官渡古鎮には文化旧跡が多く、人文景観がとても豊富です。面積が1.5平方キロの範囲で、唐、宋、元、明、清時代の五山、六寺、七閣、八廟など多くの景観があります。4000数年前から人類がここで居住し、滇池と近いので、祖先達は生きるためニシ(マキガイ)を捕まえて食べました。長い時間を経て、ニシの殻が山のように積み上げられました。古町中にはニシの殻と粘土を混ぜ合わせ建てられた塀があり、今依然として風雨に曝されてきても、きちんと直立しています。百年以上の土屋は今まで存在し、本当に貴重です。
金剛宝座塔
官渡古鎮の宗教上の建物の中で一番人気があり、人の注目を引くのは金剛宝座塔です。
明朝の天順二年(西暦紀元1457年)に妙湛寺を建て直した時、「乃即寺之前辟地複浮図一規」という言葉があり、この「浮図一規」は金剛宝座塔を指します。当時、石塔を構築した目的は「功徳を積む」、「延寿を祈る」、「習俗に従って民心を安定させる」です。この「習俗に従って民心を安定させる」には、伝説によると当時民間にニシと言う妖怪がいて、騒ぎを起こし、妖怪を鎮圧するため、塔を構築されました。我が国現存の十数基の金剛塔の中で妙湛寺の金剛塔は建築時間が一番早くて、歴史が最も長いです。それに、建物は高低が入り乱れ、品字形状をレイアウトし、とても壮観で、官渡古鎮の古い建物の核心になりました。
名産物
官渡古鎮には「三つ宝」があり:一は官渡餌块です。(餌块は、昆明の伝統的な民俗中で春節の時に必ず食べた一種美食で、数千年の歴史があります。毎年の春節、どの家も餌块を炒めるとか、煮るとか、焼くとか、新年を楽しく過ごします。)二は官渡米線です。(米線は一種雲南食品の特称で、他の地方で生産されたものです。米線は米粉と違って、米線は一般的に太く、米粉は細いです。)三は官渡エンドウマメ粉です。(エンドウマメ粉が雲南人はとても好きな雑穀製品です。干しエンドウマメを磨いて殻を取り除いてから、湯通しをし、水を加えて煮汁を作ります。そして、漿を煮て糊になり、冷却した後凝固されたものです。これはこの百年以来広く歓迎されている名産軽食です。)
交通:公共交通バス31番に乗って、官渡古鎮に降ります。
入場券:無料