広州は歴史的な名城です。紀元前九世紀、周時代の百越人(百越は中国古代の南方地方です。現在の浙江、福建、広東、広西などのところです)と長江中流に居住する楚国人は取り引きがあり、「楚庭」を建造しました。「楚庭」は広州の最初の名称でした。広州は秦漢時代の繁栄な都市でした。漢唐以来、広州は海上「シルクロード」の始発港でル同時に、中国初の対外の貿易港でもありました。
広州は中国近代と現代革命の策源地でした。有名な三元里人民抗英斗争、黄花崗起義、广州起義は広州で起こったのです。孫中山は広州で黄埔軍校を創設して、三回も政権を打ち立てました。毛沢東はここで農民運動講習所を創設したことがあり、革命中堅分子を育成しました。張太雷、叶挺、叶剣英は広州で大規模な広州起義(武装蜂起)を発動して、広州ソビエト政権を打ち立てました。魯迅、郭沫若などの文人も広州で先進的な文化を宣伝したことがあります。
広州には沢山の文物古跡があります。現在国家、省、市三級の文物保護機関は219あります。中山四路一帯で秦漢造船遺跡と南越国宮署遺跡を発見しました。そのうち、南越国宮署遺跡は2度と「中国十大考古新発見」に当選したことがあります。現在、南越国宮署遺跡、南越王墓、南越国水門遺跡三箇所の史跡はユネスコ世界文化遺産を申請中です。