白馬塔は386年に建てられ、敦煌市の西にある七里鎮白馬塔村にあります。敦煌市内から2キロほど離れており、甘粛省の重点文物保護地に指定されています。4世紀末頃、亀茲国出身の高僧-鳩摩羅什(クマラジーヴァ)が敦煌を訪れた際、経典を積んでいた白馬が死んでしまったことを悼み建立されたといわれています。
観光スポット
白馬塔は高さ12メートル、直径は約7メートルあります。基礎の部分は八角形、上部は円筒形をした九層建ての塔です。第六層目だけが赤色で、全体はラマ塔のように白色をしています。白馬塔は386年に建立された後、何回も再建され現在の塔は元時代に再建されたものです。記録によれば1930年に白馬塔から高さ0.9メートルの黒石で造られた石像が出土され、それには『金剛経』が刻まれているあります。しかし遺失してしまいました。現在では白馬塔の周りの緑と塔の白さが美しい風景を作り出して、敦煌の代表的な観光地です。
伝説と名前の由来
伝説によると、この古塔は亀慈国の高僧-鳩摩羅によって造られたとされます。公元383年、鳩摩羅は西を征伐し勝利を収めた呂光とともに長安へ仏教を布教に行き、敦煌の沙州城にある普光寺で休息をとり、お経を読んでいました。そこでクマラジーヴァが乗ってきた白馬が突然倒れ、何も食べられなくなってしまいました。その夜、白馬がクマラジーヴァの夢に出てきて「我は大師の東方伝教のお供をすべく仏に遣わされていた者なり。つつがなく『陽關』の地に至れる今、これにておいとません」と言い残し、一本の光に変わっていきました。クマラジーヴァが目覚めると白馬は息絶えていました。そしてクマラジーヴァは普光寺に白馬を弔うために塔を建て「白馬塔」と名付けました。