浙江省は古代中国文明発祥の地です。歴史遺産の宝庫なので昔から「歴史遺産の省」と呼ばれてきました。考古学者の研究では5万年前に『建徳』と呼ばれていた原人が浙江省の西側の山間部に暮らしていました。多くの歴史遺物が余姚にある河姆渡遺跡から発掘されました。それらの中には動物の骨や木、石で作った大工道具や台所用品のようなものがありました。この発見は7000年前の中国の始祖が先史時代にすでにいたということを証明しています。
中世には浙江は朝廷が己の権力を治める場所として栄え多くの王朝が盛衰していきました。歴史を重ねる中で浙江は名を変えていきました。現在の浙江省の姿は1661年~1722年の間に形成されました。
浙江の経済は比較的早い時期から発展しました。早くも東漢王朝(BC206~AD220)には先進の水力技術、塩の製造や磁器の生産などがありました。3世紀過ぎには浙江の経済はかなり発達し、商況はどんどん良くなってゆきました。隋(581年~618年)、唐(618年~907年)まで浙江の経済はかなり速いペースで進み、農業の生産性もまた増大しました。杭州市や嘉興市は重要な稲作地になりました。織物産業、磁器生産業、製紙業も増大しました。鄞州(現在の寧波)中国南東部の重要な貿易港です。10世紀の終わりには浙江は中世経済の繁栄期に入り中国一裕福なところになりました。
19世紀中頃の西側資本主義の侵略で浙江は上海と豊かな中国南部との経済の重要なかけ橋になりました。文化大革命の間の景気停滞にもかかわらず邓小平の掲げた改革開放政策は浙江の人々の企業家精神を揺さぶり、浙江省を再び中国一裕福で貿易と商業の中心となる省にしました。