三関所の明長城は銀川市から西へ40キロほど行った所、賀蘭山南部にあります。この関所は、寧夏と内モンゴルの阿拉善左旗(アラゼンサキ)の境に位置し、銀川から巴彦浩特鎮(バヤンホト)までの高速道路が関所を通っており関所からは古い長城の姿を見ることができます。
明の時代には内モンゴルの鞑靼(タタール人)や瓦剌(オイラト族)は内モンゴルのアラゼンサキから賀蘭山の赤木口(現在の関所)に入り、各地の平野へ侵入していきました。この辺りの山脈はくねくねと湾曲しており、地形は雄大かつ険峻です。明の時代の統治者は、辺境の安全を守るために三関所で長城(明代には「城壁」と呼ばれた)を築き、関所を設置し、古代銀川の城壁警備「四険」の一つにしました。東から西に向かって「第一」、「第二」、「第三」と3か所の関所が設けられ、それらを三関所と呼んでいました。
第一の関所には中門も無く、「百頭の馬をも収容できる」といわれるほどの広さを誇ります。関所の両側の曲がり角には城壁を跨いた四角のトン台を築き、壁面が2メートル、上部の平面部分が3メートル高くなっています。南北の城壁は長城とつながり、北側の城壁は山脈に沿って西に延び、南側は東南方向に延びています。そして城壁の高さは7メートル、土台の幅は6メートル、上の部分の広さは3.2~3.5メートルです。
城壁の上部に『女墙』と呼ばれる高さ50~70センチ、幅25~30センチほどの凸凹型小さな壁があります。第一の関所の西、6キロの所に第二の関所があります。関所の南側には高さ20メートル程の山があり、その山の上にはトン台はありません。第二の関所は広さが11平方メートル、高さ8メートルの黄土と土砂を固め造られ、石台の南西には段階があり上まで登ることができます。トン台と西南山脈との間に1キロほどの長さの、高さが2メートルある城壁が残っています。
第三の関所は第二の関所から2キロの所にあります。この関所は両脇を山に挟まれ、渓谷深く「一人が関所を守れば万人も陥落させることができない」といわれるほど地勢がきわめて険しく攻めにくいところにあります。 関所が造られた当時は山に沿い石の長城と深い堀が一体となっていました。現在では大きな道が切り開かれていますが依然として険しい姿を残しています。
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