ベゼクリク千仏洞はドルファン市内から約45キロ東側の火焔山の麓、木頭溝西岸の崖に位置しています。83の石窟のうち現存しているのは57です。その中で、石窟内に壁画が描かれていたのは40前後です。総面積は1200平方メートルです。そこはトルファンで現存する石窟の中に、石窟の数が一番多く、壁画の内容が一番豊かで、新疆では割りと広い仏教石窟の一つです。
ベゼクリク千仏洞は造営されてから、繁栄した時代と衰退した時代を経ました。17、18番目の石窟は西暦6~7世紀南北朝後期に掘られたものです。16番目の石窟は中唐時代に掘られました。20番目の石窟内には回鶻高昌王と皇后の壁画が描かれています。38番目の石窟内にある壁画は古代のマニ教の生活を描いています。51番目の石窟は回鶻高昌の時代に建てられ、20番目石窟内の石窟です。82、83番目の石窟は西暦10~11世紀高昌回鶻王国が強い時、仏教の有名な僧侶のために建築した小型な記念石窟です。
ベゼクリク千仏洞は南北朝後期から始まり、唐、五代、宋、元の時代に至る7世紀わたりました。ここはずっと高昌地域の仏教の中心です。石窟が一番繁栄していた時は回鶻高昌の時代です。13世紀末、高昌王族は甘粛永昌に引越し、それに、イスラム教がトルファンに伝えられてから、仏教がだんだん衰退するとともに、ベゼクリク千仏洞も衰えました。イスラム教と仏教が対立していたので、ベゼクリク千仏洞は破壊され、壁画上の人物の目は全部抉られました。その他に、20世紀初期、戦争のために、石窟はさらに破壊され、様相ががらりと変わりました。破壊と侵食による傷みが激しいですが、仏像はやはり派手で、残る壁画は鮮やかで美しいです。ベゼクリク千仏洞は規模が大きい文化芸術の宝庫です。1982年に中国国務院に全国重点文化財保護団体と認められました。