上海の歴史は、「申」「滬」の由来から
上海は略称「滬」、別称「申」、約6千年前には現在の上海西地域は既に陸地となっており、東地域は陸地になって、2千年経った。春秋戦国時代、上海は楚国春申君--黄シであったため、別称「申」となった。紀元4,5世紀の晋朝、松江(現在の蘇州河)及び海辺に住んでいる人々はほとんどが漁民であり、彼らが作った竹製の魚取道具は「扈」という。また、当時河が海に流れるとことを「涜」というので、松江下流付近は「扈」を「滬」と変えた。
上海都市建設
紀元751年(唐の天宝10年)、現在の松江区に華亭県が設置された。範囲は北が今の虹口区までとなり、南は海へと至り、東は下沙までとなる。
紀元991年(宋淳化2年)、松江の上流が浅くなり、海岸線は東へと移った。大きな船の出入りが不便となり、外来船舶は松江の支流「上海浦」(現在の外灘より東へ十六舗近くの黄浦江の中)にしか停泊できなかった。そして、その上海浦西岸に市鎮を設け、上海鎮となった。紀元1260~1274年(南宋景定、咸淳ごろ)、上海鎮は重要な商業港となった。上海という名の由来は上海浦からきている。紀元1292年(元朝至元29年)元朝中央政府許可によって、上海県を設け、上海都市建設の始まりだった。
近代上海
16世紀(明代中半)、上海は中国綿紡績手工業の中心となった。紀元1685年(清朝康煕24年)、上海は税関を設立した。そのとき、上海は人口20万人ぐらいの都市となっている。アヘン戦争後、上海は重要な商業港となった。その後、外国列強が上海に侵入し、上海は次第に半植民地半封建化、特異な工商業発展の都市となった。1949年5月27日、上海は解放され、新しい上海に生まれ変わった。
歴史の変革
上海の解放は上海発展の新しい幕を開いた。中国共産党のもとに、上海人民は50年余りの歳月を経て、 半植民地半封建下の特異発展の旧上海を根本から改造し、上海の経済及び社会全体に多大な変化をもたらした。特に、1978年の改革開放以来、上海経済及び社会発展のあらゆる分野にとって歴史的な大変革となり、都市全体に刷新され、総合実力を高めた。上海は中国最大の経済都市であり、歴史を持つ文化名所でもある。また、現在ではまさに国際的な経済、金融、貿易及び航海業の中心都市に発展している。
(上海市政府新聞弁公室2002年版上海概況より)