多倫路の歴史
宝楽安路(ダロック・ロード:Darroch Road)は、もとの「多倫路」のことであり、清朝光緒皇帝に「進士」という称号を授けられたイギリス人宣教師でありロンドン聖教書会の総部幹事であったダロック・ジョン(John Litt Darroch)によって命名されました。1943年に内モンゴル自治区多倫県から今の名に変わりました。
上海の文化名人街と呼ばれる
多倫路は上海の豫園旧街、静安寺、南京路に比べるとさほど華やかな感じはありません。しかしこの一見して平凡的に見えるような街から、中国の近代史に残る有名な人たちが輩出されています。魯迅、茅盾、瞿秋白、丁玲など文壇界の著名人たちが働いていた、ないしは住んだことのある場所です。台湾作家の白先勇もここの白公館で幼少時代を過ごしました。
多倫路の両側に建っている建物は成功した初期の資本家たちによって建てられたものです。それから時代とともに様々な人物によって占拠されていきました。1930年代の多倫路は魯迅をはじめとする中国の左翼知識人が最も活躍した場所です。そのため「文化名人街」と言われる所以でしょう。
多倫路とつながる東横浜路は小さな道です。道の両側には朝食を売る店や八百屋、雑貨店など色々な露店があります。建物の2階の窓からは物干し竿が洗濯ものをぶらさげて道路に向かって突き出ています。聞く所では、はるか昔の上海は南京路、淮海路でもこのような景色が見られたそうです。しかし今ではそういうところもだんだんと少なくなってしまいました。
歴史を持つ建築
夕拾鐘楼:夕拾鐘楼の名前は魯迅の名作『朝花夕拾』からとったものです。多倫路真ん中辺にある代表的な建築物である夕拾鐘楼は青銅でできており、高さは18.15メートルです。
鸿徳堂キリスト教会:現在、上海に残る唯一の中洋折衷の建物です。教会全体の外観は中国風で、入り口には四角形の鐘楼があり、その屋根の軒は重なり合っていて先は尖っています。屋根の下には絵が描かれており、門の前には漢白玉の石獅子が二頭立てになっています。その中にたくさんの西洋風の要素も垣間見ることができます。
古い映画の珈琲館:多倫路でとても有名な老舗「Café」です。洋館の中にあり、店内ではプロジェクターでモノクロ映画を流しています。無声映画から1930~40年代の国内外の古典的な映画まで色々あり、当日の放送リストが入り口の黒板に書かれています。
上海市内から多倫路まで移動
地下鉄4号線に乗り、海倫路駅で降ります。1番出口から出ると海倫西路です。そのまま東に100mほど行くと東横浜路です。東横浜路に沿って歩けば多倫路にたどり着きます。地下鉄3号線では東宝興路下車です。