毎年4月1日から5月10日まで、洛陽で色とりどりの牡丹を楽しむことができます。
牡丹園は洛陽空港と国道310号の交差点にあり、面積10へクタル、1993年から公開し始めました。園内には中原牡丹や西北紫斑牡丹など、600を超える品種が揃い、九大品種のありとあらゆる色の牡丹をすべて集めています。
宋代の詩人欧陽修は「洛陽牡丹記」という文にこう書いたことがあります。「洛陽地脈花最宜、牡丹猶為天下奇」(洛陽の土地は花の成長に最適で、特に牡丹が一番綺麗です。)この句から牡丹の美しさは恵まれた洛陽の土地に関わっていることが分かります。
洛陽は黄河の中下流域に位置し、穏やかな気候や肥えた土地に恵まれ、牡丹の栽培には最適です。隋代に遡れば、皇家園林である西苑には既に大量の牡丹が植えられています。洛陽の牡丹は豊富な品種や数多くの色彩で天下に知られ、昔から「洛陽の牡丹、天下に甲たり」という名句が伝わってきました。
伝説
洛陽では数多くの牡丹が咲き乱れています。民間ではそれにまつわる面白い伝説があります。
伝説によると、厳寒の冬、則天武后はお酒を飲みながら詩を作っていたそうです。そして一杯機嫌になった後、則天武后は「明朝遊上苑 火速報春知 花須連夜開 莫待曉風催」という詔書を下しました。種々様々な花はそういう詔書に危惧し、一夜の間に一斉に咲き誇りましたが、牡丹だけは咲いていないままで命令に従いませんでした。
勃然と怒った則天武后は「牡丹を洛陽に左遷する」と命じました。ところが、気丈で頑固な牡丹は洛陽に着くそばから咲き零れました。そうしたら、則天武后はこれまで以上に激怒し、また「牡丹を焼け」と命令を下しました。意外なことに、枝が焼け焦げた牡丹は翌年の春になると、かえって鮮やかに咲いていました。
そういうわけで、牡丹は世間の人たちに好かれ、「品性が高い」「焦げても気力十分」と賞賛されました。宋代の欧陽修は中国各地の牡丹を比べ合わせ、牡丹の中で「出洛陽者、今為天下第一」との結論を導き出しました。
それから「洛陽の牡丹、天下に甲たり」との説法は世間に言い伝えられてきました。