漢魏故城は河南省洛陽市の東15キロの所に位置し、北には邙山、南には洛河に面し、東には寺里碑、西には白馬寺があり、古城を取り囲む城壁の長さは14キロメートルあります。漢魏故城は西周城をもとにして発展してゆきました。歴史上、西漢、東漢、曹魏、西晋、北魏などの王朝がここに都を設置したので「漢魏故城」と呼ばれるようになりました。これまで1900年以上の歴史があります。43の皇帝によって500年余りの長い年月の間、漢魏故城は中国の政治と経済、文化の中心でした。
太学遺跡
太学遺跡は東西二つの部分から成り、東の部分の面積は3万平方メートル以上あり一方、西の部分の面積はおよそ2万平方メートルあります。遺跡の中でも建築物遺跡のある面積が広く、その建築物遺跡は敷地内に一列、一列順序よく並び、東西に長方形のものや南北に長方形のものがあります。太学とは古代の儒家学説を伝授した最高学府のことです。
霊台
霊台は光武帝中元元年(56)に創建され、当時で最も大きい国家天文台です。曹魏、西晋の朝代に使われ続け、その歴史は250年余りです。霊台遺跡の面積は4万平方メートルにおよび、中心にあるのは四角形の胴突きされた高台で、東西に31メートル、南北に41メートル、高さ8メートルほどのものが残っています。
金墉城
古城の北西側にある金墉城は、曹魏明帝によって建てられたものです。南北の長さが1048メートル、東西に255メートル広がり、総面積は26万平方メートルあり、城は小さいけれども丈夫でしっかりしていたので魏晋の時代、皇帝の座を降りた皇帝、皇后たちがここで生活をしていました。
永寧寺
北魏の時代には古城の周囲を10キロほど拡大しました。古城の内外には仏教寺院1367座があり、その中でも皇家寺院永寧寺が一番豪華雄壮です。永寧寺は城外の西南方向に位置し、北魏熙平元年(516)に建て始め、北魏の末に落雷によって破壊されました。測量の記録によると、南北の長さは305メートルで、東西の広さが260メートルだったそうです。木造の塔を中心とした四角形の敷地でした。敷地を発掘した際には精巧に作られた泥人形が見つかりそれが北魏の仏教芸術を研究するための貴重な資料になりました。この他にも石彫、瓦、瓦当などの建築材料もあります。