黄山歙県
歙県(きゅうけん)は、安徽省黄山市にある県です。安徽省の南部にある黄山のふもとにあり、かつては徽州六県の一つであり、徽州府の府城が置かれ、徽州文化が発達したところです。また、京劇はこの地方の徽劇が北京に伝わったものと言われています。さらに、ここは徽州商人の故郷で、「文房四宝」の徽墨、歙硯の産地でもあります。1986年に国家歴史文化名城に登録されました。
歴史
秦代には歙県が設置され、会稽郡、丹陽郡、新安郡などに属しました。隋代には歙州が設置され、歙県に治所がおかれました。北宋の徽宗の代に「方臘の乱」が平定された後、歙州は徽州と改称されました。元代には徽州路が、明、清時代には徽州府が設置されました。隋から近代にいたるまで、歙県は徽州府の府城とされ、徽州地区の政治、経済、文化の中心でした。1988年には、歙県の西部地区が黄山市に編入され、徽州区となりました。
文化
歙県は“東南邹魯”、“文化の邦”の美称をもち、中国三大地域文化の一つである徽文化の発祥地です。山水の美しい古徽州の大地には、畢昇、朱熹、陶行知といった当時の宗匠を輩出しました。また、程朱理学、新安画派、徽派建築、徽派盆栽、新安医学、新安文学といった諸々の学問、芸術の流派がここで生まれました。さらに、徽劇、徽墨、歙硯、徽菜などは、国内外に名を馳せているように、徽文化の豊富さと深さは、国内だけでなく、世界中に十分に認められています。
徽園
徽園は、徽州文化大観園と呼ばれ、歙県の中心、元の徽州役所の一帯に新しく建てられたレプリカの観光城です。2000年11月16日に開業し、徽州城の明清時代の風貌を再現しています。漆喰塗りの壁や蒼黒い瓦が特徴的であり、彫刻は精美で、徽州文化の気品を伝えています。徽園に入ると、江南のような素朴かつ優雅な徽州古城に入ったようであります。
太白楼
太白楼は、太平古橋の西側にあります。観光客は太白楼に登ると、町全体の景色や古橋などを一望できます。2階建てのこの太白楼は、挑梁飞檐(ひさしの4つの隅がそり上がるさま)の形をしており、典型的な徽派建築です。楼内には、歴代の碑刻(石碑に彫り付けた文字や図画)、古代の名人の書籍や書画などが展示されています。伝説によれば、唐の天宝の時代に、詩人李白は歙県の隠士、許宣平を尋ねてきたが、練江の畔ですれ違ってしまい、会えなかったとされています。後世の人は、この事を記念するために、李白がお酒を飲んだ所にこの太白楼を建てたそうです。
許国石坊
許国石坊は、歙県にあり、明万歴年間(紀元1584年)に建設されました。許国石坊は徽州石彫工芸の傑作であり、石坊建築の歴史を知るうえで非常に重要な資料的価値をもっています。1988年に中国重点保護文物に指定されました。斗山街は、古民家、古街、古彫、古井戸、古牌坊とが一体になった文化景観です。青石板で舗装された路面は細くて長く、かつて戴望舒が描写した“雨巷”のようです。
明、清時代に建てられた斗山街は、典型的な徽州の民家である汪氏の宅、官庁人の家である楊家大院、古私塾である許家庁、当時の商家である潘家大院、千年「蛤蟆(ガマ)」古井、珍しい木盾牌坊-葉氏貞節坊などがあります。