南詔古城
滇西(雲南省西部)にある大理蒼山の南部には神秘な古城が隠れています。南詔故都と言います。かつて、ここには中国の西南地域を統治して、滇西六詔(唐朝前期、雲南省にある蒙巂詔、越析詔、浪穹詔、邆赕詔、施浪詔、蒙舍詔という6つの部落の総称)を統一した南部国境の古い国がありました。唐開元25年(紀元737年)、唐王朝の支持の元で、南詔の第四代の統治者皮逻闇は巍山を基地として、洱海(雲南省大理市と洱源県の間にある湖)地域の五詔と小さい部落を併合して、南詔国を作りました。南詔国は253年間の歴史を持ち、十三代続く統治者がいました。南詔国の興亡と唐王朝の興亡とはほぼ同じ時期でした。南詔国は、中国古代の東西文化の交流と、西部の国境地域の安定に大きな役割を果たしていました。
この古城を貫くように、南北に通りが一本、東西に通りが二本あります。そこにある「星鼓楼」と「辰拱楼」は、自然に古城を6つに分けています。千年の時間を経ても、この城には古風な雰囲気が依然として残っています。
辰拱楼は、明洪武年間に創建された建築で、「雲南第一楼」として知られています。辰拱楼は、三階建ての建物で、三階の軒には清朝の詞が書いてあります。軒の南側には「魁雄六詔」と書いてあり、北側には「万里瞻天」と書いてあります。素朴で古風に溢れる字体です。ここから少し離れた場所に、清代の建築である星鼓楼があります。十五夜になると、月が輝き、微風がそよそよと吹き、月の輝きと電灯の光を相交えて美しく映ります。
巍山古城 南詔古城の発祥地
巍山古城は、西漢の元封2年に着工し、明朝の洪武22年(公元1389年)に完成した、600年余りの歴史持つ古城です。この城は、気宇雄大な南詔王国の建国、繁栄、そして、滅亡を眺めてきました。
巍山古城は、正方形の印鑑のような形をしており、城は碁盤のようで、25本の街と18本の巷とが交差しています。これは典型的な明清風格を持つ「碁盤式」の城の設計です。
古城の姿はよく保存されており、今でも、この古城には約5000世帯の住民が住んでいます。今も、ほとんどの住居は明、清時代の様式を維持しており、町にあるさまざまな店、工房、小さい料理屋なども当時のままの姿をしています。
巍山古城の北城門を越えると、2キロにわたって南詔古街があります。古街の両側にある民居と店は明清時代の瓦で天井が作られており、木で部屋の骨組みを作ると言う建築の風格を残しています。レンガと土で壁を作る二階建ての古い建築の多くは、「三坊一照壁」「四合五天井」(住居を四角形に作り、玄関に入ると屏風のような壁があり、これは照壁と呼ばれます。照壁の向かいにある部屋は客間として使われ、客間の両側にそれぞれ二つの部屋があります。照壁と客間の間にも客間と両側の部屋の間にも両側の二つの部屋の間にもおのおの一つの天井が作られています。)の様式です。美しく装飾された建物です。