貴州省にある山には、必ず洞窟があります。「中洞村」は、この脈々と長く続いた山並みの間に隠れています。「中洞苗寨」は紫雲河の畔に位置し、安順市から76キロ、貴陽市から161キロに離れた所にあります。この幅約100m、深度約200mの洞窟の中に、中国及びアジア最後の穴居部落(家18軒、ミョオ族 73人)が住んでいます。聞くところによると、彼らの先祖たちは戦争から逃れるために、ここに移住し、後に洞窟の中に住むことになったと言われています。
格凸河出口付近の峡谷の上方の山頂を登り終えて、両手と両足を使って枝を引っ張って岩石を、よじ登って、少しずつ上の方へ進んでいきます。ここにいくつかの洞窟があります。山頂は上洞、中腹の天生橋の洞窟は下洞。中洞は両洞窟の間にあります。この巨大な洞窟は山の裂け目で、洞窟前の青々と茂った樹木はきれいな‘まつげ’のようです。洞窟の入り口に立つと、まるで別の世界の入り口のように感じさせてくれます。
ここの景色はとても奇麗です。洞窟の入り口に立って眺めると、山の稜線は逆に巻いた波のように激しい勢いで前へ伸びています。奇石と、高くそびえる古木もかなりあります。この巨大の洞窟は風と雨を防いでいるので、夏は涼しく、冬は暖かいです。洞内では、思っていた程 薄暗く不気味ではありません。逆に、竈(かまど)の煙がゆらゆらと立ち上って、農家達はみんな昼ご飯を作っているところです。日光は竹林の最高部から洞窟の中に照らして、すべてのものが、生き生きとしています。家々は洞窟前の両側にずらりと立ち並んで、洞窟が天然のガーデンの役割を果たしていますから、家のほとんどには、ガーデンがありません。それに、家と家との間に丈夫な竹垣で仕切ります。地上には鶏や鴨が餌を探していて、一方、屋根の下には飼われた小さい蜂蜜が飛び舞って、画眉鳥は歌を歌っています。木製の角材には取れたトウモロコシなどの作物がかかっています。玄関では主婦がシルクを紡いでいて、上の階にはお譲さんが布を織っています。また、男の人たちは竹のかごを編んでいて、子供たちはゲームをしています。
また、洞窟中の風習はとても質素です。ここに生活している人達は先祖達の、日の出に働いて、日が沈めば休むライフスタイルを受け継いでいます。賑やかな都市と対照的に、彼たちは外の世界に触れずに、静かな環境の中で自給自足して生活していきます。ここはまさに陶淵明に書かれた桃花源のような別天地です。ここでの生活環境は、より原始的で、真の田舎生活を体験できて、最も普通な田舎料理は最高の味かもしれません。
不思議なことに、洞窟の入り口に立つと、洞内の話をする‘こだま’が聞こえますが、いったん洞内へ入ると‘こだま’が逆に消えてしまって、とても静かです。専門家の話によると、この洞窟は初期の進化段階にあって、地下水脈源が洞窟空間の半分を満たして、水の勢いとスピードはとても速く、勢いよく沸き上がって、最も高い部分にぶつかっている時に、今日私たちの見えた「渦巻き」現象を形成します。洞内の声は、明瞭に聞こえます。でも、洞内の鳴き声及び小さな音はすべてが雷鳴のように外へ響きます。まるで、巨大なステレオスピーカーが大昔の歌謡を放送するようです。
しかし、その反面、中洞苗寨の貧しさ、水源の欠乏などの問題は見逃せないのです。ユダ民族が都市へ移動することに対して、中国のミョオ族のほとんどが田舎、特に貧しい田舎へ移動します。ミョオ族のこの移動思考こそが、彼らの貧しい物質生活を送る原因だと思われます。中洞小学校の粗末な設備と小学生の貧しい生活を目のあたりにすると、どうしにも見ていることが出来ません。今、現地当局は、彼たちを外へ移す予定はなく、むしろ地理的に優れた環境を利用して、「穴居部落」「洞窟中の珍しい苗寨」などの名称を使って、部落民のために経済的収入を得るための観光地を作っています。でも、長く外の世界に触れたことなく、経済の遅れを考えると、ミョオ族の優れた文化は、ここでは無くなってしまいます。中洞苗寨には、ミョオ族の歌を歌える人は僅か数人で、芦笙踊りの出来る人は一人もありません。結婚式、葬式など各種の礼義作法もできなくなります。