有名な古代の楼閣―甲秀楼は、貴陽市の浜河路と西湖路の交差点にあり、南明河(貴陽市の市内の一つの川である)のある巨大な石--アォ磯石(この石は伝説上の海の大亀ににっている)に位置しています。明の万歴26年(1598年)に建てられ、高さ約20メートルがあり、三階建てで、軒に特別な工夫を凝らすこの構造は中国の古代の建築史上においても唯一無二のものです。12本の柱が軒を支え、底層部は白色の石柱で造られ、整然として佇む甲秀楼は、南明河の水と合わせ、まるで絵のように美しいみたいです。
楼閣に登ったら、周りの景色が見渡せることができます。下の橋が南北を繋がり、まわっているきれいな水が涵碧潭を形成しています。夜になると、都内のいたる所まで光をつけ、楼閣はその中にあり、天国のような美しい景色です。甲秀楼は貴州の巡撫の江東之によって建てられ、科挙の試験において優秀な成績をとるよう、人材が輩出するという意味です。
甲秀楼は多くの古代の篆刻、木の工芸品、大家の書道作品を保存し、そのうち、清の時代の翰林(古代の中国の官僚の肩書の一つ)劉玉山によって書かれた対連は、「天下一番長い対連」と呼ばれる昆明大観楼のものより26字多いです。206字がその対連に入り、字も言葉も非常に上品です。
南明河が貴陽市の市内に流れると、南門に至って蛇行として西に延び、気勢が平静になり、水を集めて潭を形成し、これは涵碧潭と呼ばれています。潭の中にある平で、巨大な石が大亀ににっているので、アォ頭磯あるいはアォ磯石と呼ばれています。甲秀楼は貴陽市のシンボルとして、アォ磯石の上に建てられました。明の万歴25年(1598年)、貴州の巡撫の江東之がアォ磯石に楼閣を建て、「甲秀」という名をつけました。甲秀楼は何回も戦争で壊され、明の時代の末や清の時代も度を重ねて修築、再建しました。
浜辺に散歩し、柳の枝が散漫に垂らし、花のにおいに溢れています。夜になると、光と水がお互いに照らし、人影が橋や楼閣に留めたり、去れたり、ボットが波間に漂いています。バーから音楽が流れ、霧のようにきれいな水や古い楼閣の上に響いています。