居庸関長城
居庸関長城は昌平県内に位置し、北京市から60㎞、八達嶺長城から20㎞離れています。地形が険しく敵の侵入防止に適しているので、古くから戦争の要地となっています。万里の長城を築造していた時、始皇帝は犯人、兵卒、強制に集められた民間の男性をここに引っ越させたという説があります。平凡な人たちがここに住むということで、「居庸関」(中国語で、「庸」は平凡、「居」は住む)と名付けられました。
居庸関長城に二つの関所があり、南にあるのは「南口」、北にあるのは「居庸関」と呼ばれています。居庸関の両側にそびえ立っている山々は雄大です。その中、「関溝」と呼ばれている18㎞の長さを持つ渓谷が流れています。ここの渓流が澄みきって流れ、青々とした山々が重ねているので、「燕京八景」の一つに選ばれ、通称「居庸畳翠」です(燕京は北京の別称)。
現存する居庸関長城は大将軍の徐達、副将軍の常遇春に指導され、明代の洪武元年に建てはじめました。明代の景泰初年、またその後、いく度修繕されました。清代末期から、居庸関長城はだんだん荒れ果ててしまいました。1992年から、政府は居庸関長城を全面修復し、昔の雄姿を再現させました。
居庸関雲台
居庸関雲台
居庸関のセンターには精巧で美しく彫刻される石台――「雲台」があります。「遠くから見ると、まるで雲の中にある」ということに因んで名づけられました。
雲台は元至正2~5年(1342~1345年)に漢白玉石で築き上げられ、高さは9.5mです。上の台は広さ(東西方向)が25.21m、長さ(南北方向)が12.9mで、下の台座は広さ(東西方向)が26.84m、長さ(南北方向)が15.57mです。上のほうがより小さく、下のほうがより大きい形になります。
上の台の周りに、元代風の石製の手すり、柱、手すり間の板、蛇口などが全て当時の芸術的風格を維持しています。雲台の真ん中に、人?車?馬を通過できる穴(門口トンネル)があります。ドアやトンネルの壁にクジラ、象、竜、曼荼羅及び仏像が彫られています。またトンネル両壁に、四大天王の浮き彫り、サンスクリット?チベット文字?モンゴル文字?ウイグル文字?西夏文字?漢字など6種の言語で刻まれた仏教経典や塔建設時の功徳記が彫られています。
雲台は元時代大型石彫り芸術の逸品と言っても過言ではないでしょう。雲台に白色のラマ風の塔は三棟あったが、元代末期.明代初期に残念ながら壊滅されてしまいました。その後、台座上に「泰安寺」が建てられましたが、清康熙帝四十一年(1702年)、火事に遭われなくなってしまい、雲台しか残りませんでした。
居庸関石碑
居庸関は歴史が長く、景色が美しいです。文人?書家や高官が居庸関に関する詩をたくさん石碑に刻みました。石碑に170首ぐらいの詩(合計1.3万弱文字) は刻まれました。清乾隆帝の直筆である「居庸畳翠」という石碑はここに置いてありました。現在、居庸関に石碑が20個ぐらいあり、その中、14個の石碑は比較的に完璧に保存されています。
観光案内
住所:北京昌平区南口鎮
運営時間:8:30-16:30
最高の観光時期:五月~十月